ケータイ辞書JLogosロゴ 下毛呂村(近世)


愛知県>額田町

江戸期〜明治5年の村名三河国額田【ぬかた】郡のうち乙川支流毛呂川の谷筋古くは上毛呂村と一村であったと思われるが,中世末には上下に分かれた中世は比志賀郷のうちはじめ岡崎藩領,宝暦12年幕府領,明和7年からは岡崎藩領岡崎藩では東山中手永に属す村高は,「寛永高附」103石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」には当村名が見えず,上毛呂村のうちに含まれ,「旧高旧領」83石余文化14年東山中明細記によれば,村高83石余より19石余を諸引され71俵余の定俵納め,御林1,柴林1,秣場1は両毛呂村と切山村との入会,また伐分竹3束を上納し,家数16・人数72寺社は,天王社(村社津島神社)・八王子・薬師堂・最勝院(昭和28年頃阿弥陀寺へ移転)花崗岩の多い近隣村には珍しい片麻岩の鹿垣が築かれる明治5年毛呂村の一部となる現在の額田町毛呂下にあたる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7357711
最終更新日:2009-03-01




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