ケータイ辞書JLogosロゴ 下佐脇村(近世)


愛知県>御津町

 江戸期〜明治22年の村名。三河国宝飯【ほい】郡のうち。元和6年新城【しんしろ】藩領,正保2年幕府領,その後(天和元年か)志摩鳥羽藩領,享保末年再び幕府領,明和7年からは西尾藩領。村高は,「寛永高附」1,490石余,「元禄郷帳」・天明7年差出帳ともに1,561石余,「天保郷帳」1,576石余,「旧高旧領」1,562石余。天明7年差出帳では,田79町余・畑55町余の合計134町余,家数256・人数1,031。東海道御油宿の助郷村。村民のほとんどは農業に従事したが,アサリなどの採取や,安政5年頃より海苔の採取が行われた。製塩は運上を免じられる程度であった。熊野三所権現(現佐脇神社)があり,熊野信仰隆盛の頃紀伊国本宮から生田・榎本・宇井・鈴木の各氏(佐脇の四姓という)が3神を奉じてきたという。後年本宮より初穂米をとりにくる山伏の数が増え,過重の献納米を強要されるのに困惑した村民が山伏70余人を殺害し諸処に埋葬したが,祟により疫病にかかる者が出たため,宝暦7年長松寺に供養塔を建立したという。持統上皇の行在所と伝えられる地にあった御所宮は,明治初年佐脇神社境内に移された。同社の本殿は江戸初期の建築で,町文化財,寺院は臨済宗長松寺・正眼寺・海会寺・本見寺,浄土宗蔵春寺,真言宗明王院がある。明治22年佐脇村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7357724
最終更新日:2009-03-01




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