ケータイ辞書JLogosロゴ 下大門村(近世)


愛知県>岡崎市

江戸期〜明治11年の村名三河国額田【ぬかた】郡のうち矢作【やはぎ】川と早川に挟まれた地域慶長9年大門村が当村と上大門村に分かれて成立したといい(旧岡崎市史),「寛永高附」では2か村に分けて記されるしかし,江戸期の郷帳には当村名は見えず,上大門村に含めて記され,「旧高旧領」に村名が見えるまた,元禄年間に中大門村と大門新田村を分村したという(岩津町誌)村高は,「寛永高附」493石,寛文4年「岡崎郷領内在々之名」629石余,貞享4年597石余(大門四丁目文書),元禄元年292石余(同前),宝暦12年293石余(旧岡崎市史),「旧高旧領」同高「三州岡崎管内記」では額田手永に属し,享和年間の収納定俵319俵余,上納竹小竹8束「岡崎藩万書上」によれば,寛政元年の人数198東海道岡崎宿の助郷を課され,勤高211石文化元年・嘉永3年などに水害を被る真宗大谷派慈雲寺があるほかに「三河雀」では永泉寺・安養寺・神明宮が記される明治7年の戸数37・人口154(額田郡誌)同11年大門村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7357761
最終更新日:2009-03-01




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