ケータイ辞書JLogosロゴ 下野村(近世)


愛知県>扶桑町

 江戸期〜明治11年の村名。丹羽郡のうち。はじめ尾張藩領,明治元年からは尾張藩・犬山藩の相給。小牧代官所支配。新田を除き成瀬隼人正給知。村高は,「寛文郷帳」1,192石余,「天保郷帳」1,204石余,「旧高旧領」1,265石余。「寛文覚書」によれば,本田の概高1,192石余,反別122町余(田38町余・畑84町余),家数135・人数953,馬38,ほかに給知が65町4反余ある。「徇行記」によれば,成瀬隼人正の給地で,ほかに4新田があり,その石高は118石余,反別は18町余あり,戸数267・人数1,237の大郷で,農業のほかに菅大臣縞を織り,薪を作って犬山あたりへ売り出した。中山道鵜沼宿へ助郷役を勤めている。臨済宗覚王寺がある。神社は9か所ある。明治5年仮義校を設置,同6年顕成義校と改称,同10年高雄学校となる。明治11年高雄村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7357817
最終更新日:2009-03-01




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