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- 小人町(近世)とは
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小人町(近世) 江戸期~明治7年の町名丸岡町の1町「名蹟考」には御小人町とある丸岡城のある丘陵椀子【まりこ】岡の北西,外堀の外に位置する町屋敷地慶長18年,元禄9年以前,天保7年の丸岡城下図に小人町が見える当町の北端から東方に荒町が延び,西方は田町へと続く天保7年の絵図には当町の西端に西勝寺を記す明治5年の調べでは,家数53・人数259,うち卒族3・魚商5・木綿糸挽縫糸商3・菓子果物商3・荒物商2・古道具商2同年近隣の霞町に平章小学校が開校し当町の子弟も通った(丸岡町史)同7年本町の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
小人町(近世) 江戸期の町名福江城下の1町仲間町・六尺町とも称した五島藩主盛利が家臣の城下集住を実施したいわゆる「福江直り」は寛永11年に完了したといわれるが,その時に形成された町の1つ福江城の北部,武家地の外側にあって仲間・六尺の居住地町名は明治初期に消滅以後は新一番町と通称される現在の福江市大荒町の一部にあたる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」