ケータイ辞書JLogosロゴ 新神戸(中世)


愛知県>一宮市

 平安末期から見える地名。尾張国中島郡のうち。伊勢二宮領。「知信記」天承2年巻の裏文書に二所太神宮神主重申状の断簡があり尾張国神領所々の子細が述べられているが,そこに「本新両神戸本免五百余町,新免二百余町」とある(陽明文庫所蔵文書/一宮市史資料編6)。建久3年8月日の二所太神宮神領注進状に「新神戸〈去天慶三年依 勅願被奉寄二宮〉」とある(神宮雑書/同前資料編補遺2)。弘安元年新神戸雑掌は,権律師守雅が故宮御書や姫宮放券状などに背き,悪党らと語って若宮を殺害して預所職を奪わんとしていると再度訴え,これを受けて神宮では早期返付を朝廷に申し入れている(勘仲記裏文書/鎌遺13162・14474・14475)。正安元年には秀宗・宗直間で新神戸司職と散在田畠などをめぐる相論が起こっている(輯古帖/同前20225)。「神鳳鈔」によれば田80町1反・畠10町300歩であった。延元4年10月4日外宮神領目録によれば神戸祭料2石を納入することになっている(三河国古蹟考/大日料6‐5)。享徳元年皇太神宮神領注文写には,「新神戸〈近年三貫八百〉」とある(荒木田氏経本神鳳鈔合綴史料/一宮市史資料編補遺2)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7358011
最終更新日:2009-03-01




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