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「杉山村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

杉山村(近世)


 江戸期~明治22年の村名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7358126]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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杉山村(近世)

 江戸期~明治22年の村名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

杉山村(近世)
 江戸期~明治8年の村名...

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杉山村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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杉山村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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杉山村(近世)
江戸期~明治9年の村名出羽国由利【ゆり】郡のうち元和8年まで最上【もがみ】領,同9年より仁賀保【にかほ】領仁賀保山地に水源を持ち,河口部鈴村へ流れる小河川大沢川の中流に位置し,東部に黒潟【くろがた】がある西部は小丘陵に接する元和9年「一万石改め高辻」には浜杉山村131石,同年の諸役を規定した史料には杉山村夜廻役銀2匁4分,寛永2年の史料には杉山村高250石余,翌3年の「三千石家寛永三年分家検地の証」には浜杉山村高253石余とあるこれ以後は浜杉山の村名は「天保郷帳」で254石余とあるだけで,他はすべて杉山村であるこのことから,寛永3年までは浜杉山村と杉山村とは別個の村であった可能性があるが,少なくとも寛永3年の浜杉山村は杉山村と同一村落であると考えてよいと思われる文化元年の村高254石天明2年に小丘陵をはさんで隣接する相給村三森との間で草刈場争いが起こり,三森農民が村内に多数押しかけ家々を破壊した杉山村が仁賀保千石領,三森村が仁賀保二千石領と本荘藩領の相給であるため,結局3領にかかわる複雑な訴訟へと発展した(町史)明治9年院内村に合併...

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杉山村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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杉山村(近世)
江戸期~明治8年の村名豊後国国東【くにさき】郡安岐【あき】郷のうち国東半島東部,安岐川の支流両子【ふたご】川右岸に位置するはじめ豊前中津藩(のち小倉藩)細川領,寛永9年木付藩小笠原領,正保2年からは木付(のち杵築)藩松平領元和8年には両子手永に属し,長岡興長の知行地,村高39石余,家数4・人数8,牛1(小倉藩人畜改帳)「正保郷帳」30石余,うち田27石余・畑3石余,「見稲簿」同高,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに53石余天台宗椙山瑠璃光寺は六郷山末山分末寺で,第176番霊場足利尊氏の九州在住時の祈願所として中興し,かつては寺領54石・末寺14であった天保3年の記録では寺領6斗4升,旦那10軒現在同寺は両子寺末で,カヤの一木造本尊阿弥陀如来像(県文化財)を所蔵臨済宗伽羅陀山桂徳寺は応永6年の創建で宝陀寺末(現西国東郡大田村)同寺は天正年間焼失したが,寛延年間再興鎮守は三所権現宮峯の御祖社は,享保5年創建で,両子大権現を勧請明治4年大分県に所属同8年糸永村に合併現在の東国東郡安岐村大字糸永のうち...

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杉山村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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杉山村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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杉山村(近世)
江戸期~明治8年の村名会津地方中部,只見川西岸の山間に位置する河沼郡のうち会津藩領野沢組に属す地名は杉の繁った山が崩れて埋まった所に村を開いたことによると伝え(新編会津),弁天沼から明治の中頃多量の埋木が引きあげられた村高は,文禄3年の蒲生高目録では稲川郡に属し167石余,寛文9年183石余,文化15年の村日記(県史10下)では259石余,「天保郷帳」266石余,「旧高旧領」286石余化政期の家数27軒(新編会津)貞享2年の野沢組風俗改書上帳によれば,田畑は天屋村と入りくみ,5か村の入会山を持っていたまた牛頭天王のいましめにより,胡麻・牛蒡は作らないとある(県史23)鎮守は氷川神社寺院は浄土宗円城寺産物は米・繭・タバコ・薪など明治4年の戸数27・人口153同8年天屋村・本名村・軽沢村と合併して束松村となる...

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