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- 駿河町(近世~近代)とは
「駿河町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 駿河町(近世~近代)
江戸期~昭和51年の町名江戸期は名古屋城下の1町町人町の1つ伝馬町筋から南東に向かう駿河街道(岡崎街道)沿いに位置する西は武平町筋を境に神楽町,東は西蓮寺西の石...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7358210]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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駿河町(近世~近代) 江戸期~昭和7年の町名町名は富士山の眺望のきく景勝の地であることにちなむその景色は安藤広重の作品をはじめ多くの錦絵に描かれている江戸期は西側の本両替町とともに両替町とも俗称された通りをはさんで江戸の代表的呉服商三井越後屋の店があった越後屋は延宝元年,三井高利が本町【ほんちよう】に呉服店を開いたのに始まり,のち当町に移って「現金懸値なし」の新商法を開いて急速に発展,貞享4年,幕府呉服所となり両替商も営むなど経営を多角化し,のちの三井コンツェルンの基を築いた明治元年東京府に所属同5年の戸数49・人口295(府志料)同11年日本橋区に所属昭和7年室町【むろまち】1~2丁目に編入現行の日本橋室町1~2丁目のうち日本橋室町の三越本館の北半分と三井本館のあたり |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」