ケータイ辞書JLogosロゴ 誓吾村(中世)


愛知県>一宮市

南北朝期〜室町期に見える村名尾張国丹羽郡のうち観応元年10月8日の中島祐俊寄進状案に「尾張国丹羽郡瀬辺散在〈薩摩前司跡内〉畠地事……一所 誓吾村内捌段」とある(妙興寺文書/一宮市史資料編5)観応2年6月24日の某名主職補任状写に「葉栗郡誠五名事」とあり(田島氏文書/同前資料編6),文和2年10月妙興寺領坪付注文では「誓吾村内〈同(丹羽郡内),又葉栗〉」と記されており(妙興寺文書/同前資料編5),当村は葉栗・丹羽両郡境あたりにあったものかと思われる永和3年妙興寺領年貢注文には「九貫文 誓吾」と見える(同前)しかし,応永3年の妙興寺領諸方押妨分注文写には「一,開口方代押妨分 捌段……□(誓)吾村内」,同33年の妙興寺領押妨分坪付注文には「一所捌段 誓吾村内〈葉栗郡内 守護方,大宅方〉」とあって(同前),守護方勢力によって押妨されているその後長享元年頃までの当寺領坪付注文に記載されているが知行の実否は定かではない(同前)なお,天文9年11月27日の日比野之広武売券写には「せいかう宮地之内」とあり,これも当地をさすものかと思われる(曼陀羅寺文書/一宮市史資料編6)現在の一宮市浅井町大日比野字清郷が遺称地かと思われる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7358219
最終更新日:2009-03-01




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