ケータイ辞書JLogosロゴ 千万町村(近世)


愛知県>額田町

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ三河国宝飯【ほい】郡,寛永15年から額田【ぬかた】郡のうち。慶長7年作手藩領,同15年幕府領,天和元年志摩鳥羽藩領,享保10年幕府領,安永元年幕府と西大平藩の相給,天明2年からは旗本巨勢氏(長沢陣屋)と西大平藩の相給。村高は,「寛永高附」93石余,「元禄郷帳」127石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに129石余。年貢は西大平藩領では寛政7年には97俵余,巨勢氏領では87俵の定免(御物成米金精勘定帳)。明治7年の戸数50・人口200(額田郡誌)。神社は文永3年藤原弘真の創立という八剣神社があり,祭礼の神楽は県無形民俗文化財。寺院は現在跡地のみとなっている幸福寺があった。延宝2年,正徳2年に一色平山をめぐり草谷村・長者平村(作手村)と山論を起こした。なお,寺の跡地には明治初年に集めた50基程の野仏群があり,一石三十三観音は額田町内3か所のうちの1つ。明治9年木下【きくだし】村東向寺内にあった桜形学校分教場を幸福寺に移転し,同17年巴小学校,同20年簡易小学科千万町学校と改称。同22年巴山村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7358262
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ