ケータイ辞書JLogosロゴ 千間村(近世)


愛知県>一色町

 江戸期〜明治22年の村名。三河国幡豆【はず】郡のうち。明暦3年の開発と伝えられるが,開発者など詳細は不明。元禄14年三河国絵図では大塚村の内とあり,同村の出郷であったらしい。はじめ相模甘縄藩領,元禄16年改称して上総大多喜藩領となり,享保5年からはその分家の旗本松平氏知行。村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに654石余。天保年間に松平氏の陣屋が置かれた。安政年間〜明治初年に農民徳倉辰蔵が寺子屋を開いた。塩竈神社は享保元年創立という。江戸期は寺がなく,松木島村教栄寺の信徒であったが,明治22年に住民の希望で生田村の伝助(良心)が土地を寄付し,村民が新寺を建立して伝助を初代住職とした。はじめ海蔵寺(吉良町)説教場として浄土宗であった。明治15年起工,同17年完成の千生新田約34haは,当村と西の生田村の地先の海を埋め立てたもので,東半分が当村域となった。開発者は千間村柴崎泰助ら数名と知多郡乙川村・成岩【ならわ】村・阿久比【あぐい】村,海東郡下田村の5名の記録がある。同22年の高潮では被害が甚大であった。同年衣崎村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7358264
最終更新日:2009-03-01




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