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愛知県>一色町

 戦国期に見える地名。三河国幡豆【はず】郡吉良荘のうち。元亀元年8月1日の鈴木八右衛門重直へあてた鳥居忠吉証状写に,「先年子年せんこ寺内之分,末代居屋敷分として出置候」と見える(譜牒余録/岡崎市史6)。鈴木重直は永禄7年塩浜であった当地内を自力築堤して開発したので,居屋敷分として土地を与えられたものである。天正元年9月30日には,「吉良庄内前後堤」の外にある700目の畠を家康から与えられている(同前)。重直はこの後も更に当地の新田開発を続け,同6年9月29日の重直へあてた徳川家康判物写によれば,「前後南塩入河原」に自費で新堤を築いたために,毎年100疋の色成(年貢)上納を条件にその地を与えられている(同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7358269
最終更新日:2009-03-01




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