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- 代官町(近世)とは
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代官町(近世) 江戸期~明治7年頃の町名館林城下の武家町館林城内大名小路南裏にあたる享保19年城主太田資晴が大坂城代に転じ,子資俊が元文5年再入城するまで,代官の屋敷地に割かれたことから代官町と呼ばれたのち天保年間頃にも,旧称が残っていて城内のこの一画を代官町とも称していたが,明治7年地券改めの頃に大名小路・鷹匠町となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
代官町(近世) 江戸期~明治13年の町名明治9年から鶴岡を冠称鶴ケ岡城下のうち城下の北東部に位置する郭外の家中(侍)町当町から郭内に入るところに代官町口木戸がある天保初年の羽州庄内鶴ケ岡絵図では家中屋敷16軒明治11年の一覧全図によれば,反別3町4反余,戸数22・人口128同13年元長泉寺前ほか1町と合併して泉町となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
代官町(近世) 江戸期~明治6年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」