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「大工町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

大工町(近世)


江戸期の町名江戸初期清須城下の1町「駒井日記」によれば,文禄3年の清須町奉行家改帳の日比野下野請取の町でひさや町・大工町として,家数101慶長15年頃始まった清...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7358358]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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大工町(近世)

江戸期~明治11年の町名江戸期は平戸城下職人町五町のうちの1町平戸城の南西に位置し,家並みは大工町通りを挟んで南北に連なる町名は,大工が集住していたことにちなむ寛政年間には惣町大工数63軒のうち,当町には御作事方支配小佐々五右衛門をはじめとする35軒の大工が住み,ほかに木挽・桶屋などが散在していた宝暦年間の役銀之定によれば,慶安3年大工職人は普請奉行管下に属し,延宝9年上・中・下の賃金が制定され,元禄10年の家大工賃金は1匁3分~6分取り,運上などについては「大工・木挽年中七日弐歩,役上中下賃次第」であった町内には文政元年以降の聖徳太子寄子面付帳が保管され,旧2月22日の祭日には大工・左官は談義所(最教寺)に参集し,仏式で通夜をした同日は太子の命日とされ,廻番に当たる世話役を「寄子」と呼んで,行事は最近まで継承されたなお,のちの明治22年の北松平戸町大工大会規約帳でも毎年同日を大工集会日と定めており,また会費前金5銭,大工賃金高下の定め,病気・不幸の際の定めなど,8か条からなる取決めが記されている(職人町小史)城内作事の折に工事監督者の足の爪を手斧で器用に削って見せたという逸話の主である意野【こころの】金助は,名匠御用大工として名を馳せ,天保13年藩主松浦熈(観中)から「すなおなるこころの金をたすくるや,人のたくあるうつはなるらむ」の和歌を添えて曲尺1箱を拝領した(平戸郷土誌)明治11年平戸町に属し,職人町の一部となる

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

大工町(近世)
江戸期~明治8年の町名明治4年からは小田原駅を冠称江戸期は小田原城下の町人町脇町10町の1つ当町と青物町・一町田町・台宿町・須藤町・竹花町の6町は矢倉沢往還沿い南北に連なる南隣の台宿町から西に折れる町で,南と北は手代町などの武家屋敷が並ぶ町名の由来は,小田原北条氏時代に大工が集住していたことによると思われる江戸期に入ると工商が混住していた足柄下郡中島村字渋取に当町持添新田があり,もと砲術指南をしていた当町の旧家与助家が支配した(新編相模)小田原町人町19町の総鎮守は宮前町の松原明神社なお「新編相模」には谷津村大稲荷社が谷津村・竹花町・須藤町・大工町の鎮守とも見える寺院は浄土宗三乗寺・善照寺,天台宗本源寺,古義真言宗蓮上院三乗寺と本源寺は小田原藩主大久保氏内庵,うち本源寺は明治元年戊辰戦争により藩主大久保忠礼が蟄居したまた蓮上院は小田原藩主稲葉氏および同大久保氏から篤い崇拝をうけた災害については,元禄16年の大地震で全戸倒壊し,天明2年および嘉永6年の大地震でも大きな被害をうけ,また文化14年の大火では町中半焼となった「新編相模」によれば,東西2町2間・南北39間余,家数25軒,ほかに店借12軒地人足役を負担,安政6年には人数128(明治小田原町誌)明治8年小田原駅新玉町の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

大工町(近世)
江戸期~明治16年頃の町名江戸期は黒石城下の1町黒石陣屋の西に隣接して位置し,北は元町,南は境堰に接する武家町享保年間頃の黒石府家之図では当町の北側半分は前町と見え,戸数は大工町10・前町5とある文化3年の黒石火消組五ケ組(浅瀬石川郷土志)では上町組に属した元治元年,当町の川村半右衛門宅から出火して城下の14町,家416軒・小屋682棟・土蔵14棟・寺2宇を焼失,江戸期最大の大火事で半右衛門火事と呼ばれた幕末~明治初年にかけて町内の下の坂に佐藤河内・同麻賀喜・同金吾の寺子屋があり,寺子数は70余町内の神社として,下ノ坂に稲荷宮があった稲荷宮は元町にあった黒石稲荷を元禄4年当地に移したと伝え,明暦2年以降黒石津軽家の祈願所となり,宝暦9年の黒石神社書上帳に社名が見える同社では天保元年に富くじを売り出し,また天保5年・弘化元年・嘉永元年には上町組の若者有志が夜宮で素人芝居を演じている明治初年~明治22年は黒石を冠称する場合もあった明治初年の「国誌」によれば,町の規模は長さ1町47間3尺・幅4間4尺,戸数35,また陣屋の前から内町に通じる西門が設置されていたという明治16年頃甲大工町と乙大工町の2町に分かれ,当町名は消滅した...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

大工町(近世)
江戸期~明治5年の町名能登国鹿島郡所口町のうち能登半島中央部,七尾湾南湾岸に位置する加賀藩領元和2年「所口・府中両町屋敷検地絵図」に「大工町どおり」の名が見える前田利家が小丸山城下町形成の際,大工職人の居住区域としたことにより町名となったか承応年間から町肝煎の名があり,大工肝煎も兼帯している(諸役人系記)承応3年,七尾町の町夫が決定したが当町はこれを受けず,明暦2年に112人と決定(七尾市史)弘化年間の町歩数3,068歩慶安2年出分地子銀19匁9分3厘・浦役銀151匁3分1厘・町夫(人足銀)53匁2分4厘安政3年の戸数59嘉永4年の町肝煎は近江屋彦四郎で大工肝煎を兼帯江戸末期の組合頭は,大槻屋理兵衛・桶屋孫左衛門・魚屋佐助の3人であった明治2年の戸数36(松尾天神社文書)明治5年石川県に所属同年橘【たちばな】町と改称...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

大工町(近世)
江戸期の町名山城国久世【くぜ】郡宇治郷のうち町名は平等院に関わった宮大工の居住するところによると伝える宇治橋西詰から南行する通称県【あがた】通の両側にわたる町並みで,北は鷺橋町,南は桟敷町,東は常福町,西は池殿町・保村町【ほむらまち】に接する承応3年の板倉重宗触状請書には4名の町代の名が見え(京都大学所蔵上林文書),江戸中期以降西側に辻善徳家,東側に森本道加家など宇治茶師の居宅があった町域には現在も数戸の茶問屋が軒を連ねているなお町域南部の西側には古来平等院の西大門があったが,元禄11年3月の宇治郷大火に焼失した(宇治旧記など)町名は明治維新後廃され,東側は小字蓮華に,西側は小字妙楽に組入れられたが,現在も町内会名や,同所の街路名などの通称として残る...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

大工町(近世)
江戸期の府内城下の町名町組府内町を構成する30町のうちの1つ府内庄屋支配に属す府内城の西南にあり,北は同慈寺町(別名細工町),南は革屋町(本町),東は中堀をはさんで侍町,西は桜町に接する貞享元年の「万覚」によれば,当町の東頬38間・西頬39間・道幅3間・東西の入15間,革屋町堺の道幅3間・細工町堺との道幅2間明治8年まで府内町,同22年まで大分町に所属同年以降大分町大字大分の字名・通称地名として存続昭和20年7月16日夜および8月10日の米軍空襲により焼土となる同38年6月1日の新住居表示直前は字名は残っているが,通称地名は使用されず,荷揚西に含まれる表示後は大分市中央町1~2丁目の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

大工町(近世)
江戸期の町名大山城下のうち大山城は元和8年廃城,同年庄内藩領,慶安2年大山藩の城下となり,寛文9年からは幕府領寛永19年の検地帳(大山町史)に当町名みえず寛文9年の御家数并人数調(栗本文書/大山町史)で家数11軒弘化3年の家数人数寄帳(大滝文書/大山町史)の家数12軒・人数57,うち男25・女32,馬1明治4年の人馬人別家数調(大山町史)の家数16軒・人数89,雄馬1同10年の職業別戸数(同年)は,農業1・工業3・商業11・雑業1の計16天保13年の本町酒造店書上(大滝文書/大山町史)では当町の酒造人に三郎兵衛・喜右衛門らが見える文化12年当町から出火した火事は類焼23軒を数えた...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

大工町(近世)
江戸期の三津町の町名三津町の東寄りを南北に貫く町筋で,南端は藩の三津御茶屋,北端は堀川に臨む船着場があり,船大工が居住したので当町名が起こったと推定される西側は御茶屋に続いて北に船奉行・町奉行の役宅が続き,官庁街であり,酒屋・油屋・薬屋などが軒を並べていた元禄年間写の「三津町絵図」(定秀寺所蔵)には,大工町・南大工町・東大工町が見え,大工町が元禄年間以前に当町のほかに南大工町・東大工町・寺町に分かれていたと思われるのち当町は文政6年写の「三津町絵図」によれば,南大工町に編入したものと思われる現在の神田【かんだ】町・三津3丁目・住吉1~2丁目のあたり...

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大工町(近世)
 江戸期~明治19年の町名...

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大工町(近世)
江戸期の町名福江城下の1町鍛冶屋町・銀屋町とともに職人町と総称されることもある五島藩主盛利が家臣の城下集住を進めたいわゆる「福江直り」は寛永11年に完了したといわれるが,その時に形成された町人町の1つ福江城の北方,福江川の外側のいわゆる外町に職人の居住する町が作られた町内には藩士の屋敷もあり,寛永11年の武家屋敷数は2(県史藩政編)明治初期には福江村大荒郷の一部になったただし,以後も通称としての大工町の名は残る現在の福江市大荒町の一部にあたる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

大工町(近世)
江戸期~明治11年の町名三次【みよし】町3か町のうち内町2町の1つ正徳年間の三次町絵図(芸備諸郡駅所市町絵図)に「大工町 幅三間 長五十三間」とある文化10年三次町が郡方支配から三次町奉行所支配になったとき正式町名になった町名の由来については,近くに三次藩時代御用作事所があり,その大工職人が住んでいたためとも,慶長年間当地へ移った照林坊建立に従事した大工職人が定住したためとも伝える明治11年上里村の一部となり,のち通称町名になった...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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