ケータイ辞書JLogosロゴ 大山寺郷(中世)


愛知県>岩倉市

 鎌倉期〜戦国期に見える郷名。尾張国丹羽郡のうち。寛喜2年2月20日付小山朝政譲状案に「一,尾張国 海東三箇庄〈太山寺定〉」とある(下野小山文書/鎌遺3960)。久我家領海東荘は上・中・下3か荘に分かれ,当郷は上荘に属したらしい。元弘3年10月には領家久我長通が源氏女なる者を「尾張国海東庄内太山寺郷」の預所に任じている。また,建武2年9月29日付後醍醐天皇綸旨では「当(尾張)国一宮并海東上中庄付大山寺郷事」が同家に安堵され,次いで観応元年8月13日付久我長通譲状には「尾張国海東上庄〈付大山寺郷〉」とあって,当郷は久我長通から通相に譲与された。なお,源氏女の当郷預所職は「海東上庄内太山寺郷所務職」ともいわれ,康永3年8月に同氏女の所願によって西山法華山寺新八幡宮に寄進されている(久我家文書1)。南北朝期には合戦の舞台となり,観応3年4月の鷲見加賀丸軍忠状に「尾州大山寺合戦,御敵追落了」とあるように(鷲見家譜/大日料6‐16),北朝方の熱田大宮司昌能が蜂屋・原・吉良諸氏とともに,南朝方の美濃守護代と当地で合戦に及んだという。戦国期には織田家家臣の堀田将監の知行地であり,「信雄分限帳」には「⊏⊐(一,弐百)貫文 大山寺の郷 堀田将監」と記されている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7358368
最終更新日:2009-03-01




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