ケータイ辞書JLogosロゴ 大樹寺村(近世)


愛知県>岡崎市

 江戸期〜明治22年の村名。額田郡のうち。慶長7年の大樹寺宛徳川家康朱印状では大樹寺門前と見え,420石余とある(大樹寺文書)。「寛永高附」に1,073石余とあるのは,門前村分と鴨田村の一部も含んでいたからで,大樹寺領と岡崎藩領であった。その後,大樹寺領を門前村として分村して当村は岡崎藩領のみとなった。慶安2年の岡崎領新家村丑之免状に高278石余,宛先が「大樹寺新家村庄屋百姓中」とあるので(市川家文書),この間に門前村と当村が分村したことがわかり,また当村はこの分村の時期に新家村と称していたことがわかる。おそらく正保2年に水野忠善が岡崎領主として入封した際に分かれたのであろう。承応元年には岡崎領大樹寺村辰免状とあり,この時期大樹寺村名が公式に確立したことがわかる。はじめ岡崎藩領と大樹寺領,正保2年頃からは岡崎藩領。村高は,「寛永高附」1,073石余,慶安2年免状278石余,「元禄郷帳」263石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに306石余。宝永2年をはじめ洪水の被害を受けた。「三州岡崎管内記」では額田手永に属し,享和年間の収納定俵327俵余。「岡崎藩万書上」によれば,寛政元年の人数95。明治15年の戸数23・人口102,耕宅地31町余(岡崎市史)。同22年大樹寺村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7358375
最終更新日:2009-03-01




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