ケータイ辞書JLogosロゴ 大門(中世)


愛知県>岡崎市

 鎌倉期から見える地名。三河国額田【ぬかた】郡のうち。永仁4年6月日の八剣神社懸仏墨書銘に,比丘尼信性が病の平癒を願って「大門寺」にこの懸仏を奉納したことが見える(岡崎市史6)。14世紀初め頃に成立した瀧山寺縁起によれば,足利家時の菩提を弔うために俊算法印の持仏堂を移転して如法堂を建て,長日の勤行が行われるように料所として家時の子貞氏が「正観坊跡大門屋敷」を寄進している(瀧山寺文書/岡崎市史6)。乾元2年後4月12日の倉持師経宛足利貞氏下文案に「額田郡内便寺屋敷田畠」とあるのは(倉持文書/同前),大門の字便寺【びんでら】に比定される。大門は対岸の北野と結ぶ矢作川の渡河地点であり,北野から大門を通って井ノ口の鴨田台地に上がる道はかなり使用されたらしい。三河の名所として知られる「しかすがの渡」は北野と大門の間をいうとする説もある。事実,明応10年に一景という僧が大草に隠棲して著した辞書「伊呂波拾遺」(松平文庫蔵)の序に「額田郡しかすかの里」が見え,大門のことをいうらしい。長禄4年11月26日の松平親則田畠預状案に「大門郷内井口横大路屋敷空浄跡田畠」を岩堀横大路なる人物から親則が預っていることが見え(大樹寺文書/岡崎市史6),室町幕府奉公衆岩堀氏の一族が郷内に居住していた。文明16年11月1日の如光弟子帳に「大門 一箇所 道幸」とあり(上宮寺文書/同前),上宮寺末の真宗道場も存在した。永正元年11月14日の大樹寺常住分年貢注文案に「池田大門之内白清寄進」とあるのをはじめとして,松平・植村・井口・細井・板倉・内田・遠山・真福寺桂林坊など大門周辺の土豪・寺庵から大樹寺へ大門の土地が売却・寄進されることが多くなる(大樹寺文書/同前)。また大門の住民の中に「こてぬり四郎さへもんとの」のような職人や,「簗田方」のような真如寺領30貫目の公方年貢2貫550文を取得する領主的地位のものがあり,渡し場から発展した町場を想像できようか。江戸期の上大門村・下大門村・上之里村にあたる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7358394
最終更新日:2009-03-01




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