ケータイ辞書JLogosロゴ 鷹落(中世)


愛知県>岡崎市

 戦国期に見える地名。三河国碧海郡のうち。文明16年11月1日の如光弟子帳に,「鷹落 一箇所〈手次兆従〉良賢」と見え(上宮寺文書/岡崎市史6),当地の良賢は,村高の道場主兆従を取り次ぎとして,上宮寺と本末関係を結んでいた。天文12年8月10日の内藤清政宛松平広忠判物に,「如約束為給知百貫之分進置候,然者鷹落名田・野羽之前々の給分,不入ニ進之候」と見える(内藤文書/同前)。内藤清政は安城譜代の内藤氏の一族で,碧海郡上野城主であり岡崎五人衆の1人であった内藤義清の次男である。清政は松平信孝に仕えていたが,阿部大蔵のはからいで松平広忠に属し,三木城(岡崎市)に信孝を攻めその戦功として100貫文の地を宛行われた。同18年4月7日の本證寺門徒連判状に,「〈たかおち〉石河清助信直」と見える(本證寺文書/同前)。本證寺第8世源正の遺言によって,門徒衆がその子「あい松」(第9代院主玄海)を擁立し,本證寺支持を誓ったものである。同20年11月6日内藤清政の子甚五左衛門は阿部大蔵から「鷹落名田」を安堵された(内藤文書/同前)。天正19年正月20日の上宮寺末寺連判状写にも「〈高落〉誓念」と見える(上宮寺文書/同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7358413
最終更新日:2009-03-01




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