ケータイ辞書JLogosロゴ 高須村(近世)


愛知県>刈谷市

 江戸期〜明治22年の村名。三河国碧海郡のうち。はじめ小垣江村の枝郷で,慶安4年小垣江村・半城土【はじようど】村両村の地所を分割して15戸が移り,猿渡川河口に454石余の新田を開いたのが始まりという。高須新田は178石余が高須村分で,残りは元刈谷・刈谷・重原・半城土分であった。ただし,「元禄郷帳」「天保郷帳」に当村名が見えない。はじめ刈谷藩領,寛政4年陸奥福島藩領,明治2年からは同藩が改称して重原藩領となる。村高は,「旧高旧領」296石余。宝永元年天神社を祀る。高須新田は低湿の地にあり,大雨にあうとことごとく水に浸り年毎に水害を受けた。嘉永7年元刈谷村流作新田の井堰をめぐって,猿渡川下流の7か村と流作新田との間に争論が起きている。法寿寺は享保年間下重原村の廃寺を移したところから重原山を山号する。境内に力石がある。明治22年下重原村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7358451
最終更新日:2009-03-01




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