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- 高取村(近世)とは
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高取村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国大分郡清田郷のうち寛永11年松平忠昭領,万治元年幕府領となり,高松代官の支配をうける寛文5年肥後熊本藩預地,1年後幕府領,天和2年日田藩領,貞享3年幕府領,正徳2年日向牧野延岡藩領,延享4年からは同内藤領となり,はじめ山津役所,のち千歳【せんざい】役所支配をうけたはじめ地吉【じよし】村の枝村であったが,元禄14年の「見稲簿」の時点では逆に地吉村を枝村として付属村高は50石余「天保郷帳」「旧高旧領」64石余明治2年時点では竈数20・人数126(竈数石高人別調帳/譜代藩の研究)同4年大分県に所属同8年3月住床村・米良村・安田村・百木村・赤仁田村と合併して上判田村となる現在の大分市大字上判田のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
高取村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」