ケータイ辞書JLogosロゴ 高屋村(近世)


愛知県>江南市

 江戸期〜明治11年の村名。丹羽郡のうち。尾張藩領。小牧代官所支配。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに726石余,「旧高旧領」612石余。「寛文覚書」によれば,本田は概高555石余,反別は畑69町余,ほかに新田2町余・見取新田2町余などがあり,家数72・人数389,馬11。村の広さは東西12町余・南北10町余。「徇行記」によれば,石黒丹下ら6人の給知があり,その高は293石余,畑方の村のため麦・茶・桑などを主に栽培し,養蚕も行った。天保年間の村絵図によると,村の西側を般若用水が流れ,人家は中央部に集中,そこに八社明神(現高屋神社)・永正寺があった。もと当地には伊勢外宮領の高屋御厨があり,八社明神境内の大杉がその印という(尾張名所図会)。臨済宗永正寺は,永正年間独秀乾才が開山して高屋庵と称し,享保年間に改称したという。ほかに薬師堂もあった。竹役50本,三日役人夫99人を出し,大水の際の人足,将軍上洛や朝鮮通信使の往来の際の人馬役も負担した。明治11年両高屋村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7358543
最終更新日:2009-03-01




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