ケータイ辞書JLogosロゴ 近崎村(近世)


愛知県>大府市

江戸期〜明治9年の村名尾張国知多郡のうち知多半島の基部に位置する村名は中世の頃まで知多湾が入り込み,半島状を呈しており,この地形を「崎」と称することからという尾張藩領鳴海代官所支配,村高は,慶長検地,「寛文郷帳」ともに361石余,「天保郷帳」364石余,「旧高旧領」575石「寛文覚書」では家数55・人数271,馬19「徇行記」によれば,全村蔵入地,戸数105・人数448,馬1,田約40町・畑約10町,鳴海宿の助郷村延宝5年隣村の北尾村・大脇村と共同で悪水落し路を開設遠山川と神田川を合流させ,皆瀬川として境川に流している江戸期以来の住民の姓は酒井・鈴置・池田が多く,酒井氏は真宗正願寺(大府市横根町),池田氏は真宗浄心寺(刈谷市),鈴置氏は曹洞宗光善寺(大府【おおぶ】市北崎町)を檀那寺としている光善寺の檀家は両墓制を行った明治9年北崎村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7358766
最終更新日:2009-03-01




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