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中郷村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中郷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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中郷村(近世) 江戸期の村名杵島【きしま】郡のうち六角中郷ともいう白石【しろいし】平野北部,六角川南岸に位置する佐賀本藩領白石六角郷に属す村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに1,016石余,「天保郷帳」では1,568石余,「旧高旧領」には見えない有明海の自然陸地化による地域寺院は曹洞宗の願成寺と新光寺がある水利は杵島山北東麓にある永池溜池を利用享保年間小田宿(現江北町)から当村を通り,鹿島・諫早を経て長崎へ至る長崎脇街道が開通した当村は宿場町として栄え,旅籠・茶屋・酒屋などが建ち並んでにぎわった宝暦・明和年間の座数は,反物1・荒物1(仰渡)寛政元年の従士使御尋書によれば,六角町の市日は,正月19日・9月18日・12月29日の年3回に定められていた近世後期六角宿には藩主の御狩御立寄所が置かれ,通称御茶屋と呼ばれた(白石町史)六角川河畔の舟津では米の積出しや物資の移入が盛んに行われ倉庫が立ち並んで,六角宿の外港となっていた(白石町史)「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに東郷村の枝村に見える「明治11年戸口帳」によれば東郷村のうちに「中郷村」と見え,戸数107・人口527... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中郷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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中郷村(近世) 江戸期~明治8年の村名中江とも書いた村山地方,最上川上流沿岸に位置する村山郡のうちはじめ最上氏領,元和8年左沢【あてらざわ】藩領,寛永8年幕府領庄内藩預り地,同9年庄内藩領,慶安2年からは松山藩領東五百川【ひがしいもがわ】郷に属す村高は,慶安元年の名寄帳(朝日町,今井治郎三郎家文書)では605石余,「天保郷帳」では679石余,村山石高帳によれば天保13年674石余,「旧高旧領」687石余当村は東五百川郷の中心集落をなし中郷村と称したが,地内は上宮宿村・下宮宿村・前田沢村の3集落に分かれ,それぞれ名主が置かれていた天保年間頃から桑市がたち始める元禄3年の中郷組御水帳(朝日町,今井治郎三郎家文書)によれば,村高655石余,うち上宮宿村228石余・下宮宿村115石余・前田沢村311石余当村は近隣4か村とともに中郷組を作り,長岡戸右衛門・柴田七郎兵衛・鈴木惣十郎・今井治郎三郎らが大庄屋を勤めていた江戸中期以降青苧【あおそ】・養蚕が盛んとなる寺社は曹洞宗福昌寺・熊野神社・豊竜神社明治8年宮宿村と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中郷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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中郷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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中郷村(近世) 江戸期~明治8年の村名美濃国池田郡のうち揖斐【いび】川支流の粕【かす】川流域に位置する大垣藩領はじめ西山村のうち,寛永年間以降独立村となる村高は「正保郷帳」51石余,「天保郷帳」81石余,「旧高旧領」51石余「正保郷帳」によれば,村高のうち田方37石余・畑方13石余・山年貢3斗・紙桑木高4斗余,また小物成に綿656匁・ひそ木195本・入木356束がある戸口は元禄13年48戸・187人,明和元年19戸・90人,寛政8年22戸・89人,明治5年26戸・125人明治4年岐阜県に所属同8年美束【みつか】村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中郷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」