ケータイ辞書JLogosロゴ 堤通手永(近世)


愛知県>岡崎市

江戸期の手永名三河国碧海・額田【ぬかた】・幡豆【はず】郡のうち岡崎藩の広域行政区画名の1つ地名は矢作【やはぎ】川に沿って位置したことに起因すると考えられる藩主水野氏の正徳・享保年間にその存在が確認される藩主本多中務大輔家の時期には,六手永の1つとなる天明8年の巡見使御尋之節答書控帳によれば,藩領の南西部24か村(本村13・枝郷11),高1万1,189石余「岡崎藩万書上」では,寛政元年における所属村は額田郡久後・福島新田,幡豆郡高落・新・東浅井・西浅井・高河原新田,碧海郡赤渋・中之郷・上青野・高橋新田・合歓木・安藤・下福桶・上福桶・下三ツ木・上三ツ木・下青野・在家・下土井・上土井・牧御堂・法性寺・宮地の24か村,高1万1,198石余,人数5,941,馬20,船1大庄屋は,明和年間には合歓木村の伝助,文政年間には鈴木幸吉,天保14年以降は中之郷村の長島家(藤八・藤八郎)が2代にわたり世襲した
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7358898
最終更新日:2009-03-01




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