ケータイ辞書JLogosロゴ 津平村(近世)


愛知県>吉良町

 江戸期〜明治22年の村名。幡豆郡のうち。元和2年相模甘縄藩領となり,元禄16年からは改称して上総大多喜藩領となる。村高は,「寛永高附」「元禄郷帳」ともに934石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに980石余。南に連なる御栗山(御厨山)が宮迫【みやば】村の背後にまで延びていたため,江戸期を通じてしばしば宮迫村との間に山論を展開し,先祖が山守をしたと伝えられる旧家内前五郎兵衛家に関連史料が数多く残る。臨済宗観音寺は永享年間の創建,天文10年の中興という。ほかに同宗泉徳寺・浄土宗清海寺・志葉都神社がある。観音寺の寺子屋が明治5年に津平郷学校となり,同9年津平学校と改称された。同22年厨村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7358919
最終更新日:2009-03-01




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