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寺部村(近世) 江戸期~明治8年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
寺部村(近世) 江戸期~明治8年の村名備前国赤坂郡のうち旭川支流新庄川中・上流域に位置する天文21年の年紀を有する熊野神社の棟札銘(御津町史)には「大願主建徳寺賢寿」と書かれ,「平岡本荘大宮」の名が見える建徳寺は伊田の常久寺末寺で金川妙国寺に属する(同前)村の東方に「大山みち」の石標が建っていた宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領村高は,「領分郷村高辻帳」124石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに142石余「備陽記」によれば,村高124石余,田畑10町1反余,家数30・人数158,池5元和4年には新庄村と山論があった(同前)藩主池田光政は寛文6年には日蓮宗不受不施派賢徳寺を廃した(妙国寺文書)神社は十二社権現(熊野神社)同社へ石上村布都魂神社・平岡西村八幡宮が神輿を奉じる三社祭が行われる明治4年岡山県に所属同8年新庄村の一部となる... |
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