ケータイ辞書JLogosロゴ 兎鹿島村(近世)


愛知県>豊根村

江戸期〜明治11年の村名はじめ三河国加茂郡,江戸前期からは設楽【したら】郡のうち大入川流域の山間地に位置する地名の由来は,古文書に菟ケ島と記されたものがあるが,昔当地は大入川が二又に分かれて流れ島状になっており,野生の蕗が沢山自生しており,蕗の異名の菟奚にちなんで菟ケ島と呼ばれ,それが兎鹿島に変化したものと推測される幕府領村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに79石余名主は熊谷家で,享禄3年松平清康に包囲攻撃された三遠国境の宇利城主熊谷直義は,今川の援軍が来ないので雨の夜城に火をかけ夜陰に乗じて包囲網を逃れて奥三河に入り,中久名村にしばらく隠棲ののち当地を開拓して定住したと伝え,兎鹿島熊谷氏を宇利熊谷という信州から遠州に通じる金指街道が通るが,この山道を斜め東方に登りつめた所が望月峠で,天正3年長篠の戦の折ここで非業の死を遂げた望月義勝の小祠がある明治11年北設楽郡に所属同年上黒川村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7359078
最終更新日:2009-03-01




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