ケータイ辞書JLogosロゴ 時之島村(近世)


愛知県>一宮市

 江戸期〜明治22年の村名。尾張国丹羽郡のうち。尾張藩領。小牧代官所支配。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに631石余,「旧高旧領」602石余。「寛文覚書」によれば,本田の概高594石余,田1町余・畑73町余,ほかに概高4石余の新田,家数87・人数482,馬11,用水は般若井・古川筋井懸りとある。「徇行記」によれば,長屋源蔵ら13人の給知510石余,蔵入地83石余,概以後開発された新田3石余,砂地の畑のため茶・桑を植え,農間余業に蚕を飼育して繭をつくり,岐阜・関などへ売り出し,また,隣村瀬部村などとともに竹細工の生産地として知られていた。安永年間丹羽玄塘著の神社仏閣参詣記には紅花および小麦がみられる。寺院は臨済宗自昌院。神社は春日大明神(現八幡社)・天王(現時島神社)・愛宕・山王(現日吉社)。明治6年有終学校設置。同22年市制町村制施行による時之島村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7359096
最終更新日:2009-03-01




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