ケータイ辞書JLogosロゴ 富田方村(近世)


愛知県>一宮市

 江戸期〜明治22年の村名。尾張国中島郡のうち。尾張藩領。北方代官所支配。村高は,「寛文郷帳」237石余,「天保郷帳」243石余,「旧高旧領」271石余。「寛文覚書」によれば,概高は265石余,田5町余・畑24町余,家数26・人数163,馬13。美濃路起宿の加助郷村。天保12年の村絵図によれば,本田高265石余が小畑源八ら9人の藩士に給知され,新田5石余は蔵入地。畑地には麦,雑穀のほか木綿が栽培され,繰綿・綛糸などに加工され,苅安賀村・一之宮村の市に売り出された。また菅大臣縞・結城縞などが農間余業として織られた。弘化5年の尾州濃州紺屋惣帳に嘉助の名があり,藍も作られていた(名古屋叢書11)。神社は八幡社。寺院は真宗大谷派教信寺。同寺は明治12年説教所として建てられ,のち昭和21年現在の寺名となった。明治13年頃織屋が3軒あり,結城縞・絞羽二重・フランネルなどを織っていた。同22年日光村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7359222
最終更新日:2009-03-01




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