ケータイ辞書JLogosロゴ 富永村(近世)


愛知県>稲武町

 江戸期〜明治22年の村名。三河国加茂郡のうち。はじめ幕府領,元禄11年旗本松平氏(与右衛門)知行,同14年幕府領,宝永5年相模小田原藩領,享保元年幕府領,同5年からは旗本青山氏知行。村高は,慶長10年の検地で18石余(1町8反余),「寛永高附」では18石,寛文5年の検地でわずかに増えたが,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに18石余。元禄14年の家数6・人数27,宝暦8年の家数5・人数18,文政2年の家数9・人数51,明治3年の家数10・人数53。大部分が山林であるため境界が定まらず,明和2年に黒田村との山論があり,同8年には田津原村との山論が起こっている。慶応3年に吉田藩用の火薬製造中に誤って爆発し,3名が死亡し,2軒が焼失する事故が起きている。天和3年に建築された薬師庵があり,木像仏の胎内には1寸8分の黄金仏が納められていた。また,寛政4年に神明社の石祠が作られている。明治期に入っても境界問題があり,明治6年に田津原村と,同10年に黒田村との山論があった。同11年東加茂郡に所属。同22年武節村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7359233
最終更新日:2009-03-01




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