ケータイ辞書JLogosロゴ 富好新田(近世)


愛知県>吉良町

 江戸期〜明治22年の新田名。三河国幡豆【はず】郡のうち。元禄元年吉良上野介義央の命により干拓工事開始,3年後築堤排水工事が完了したが台風のため破堤,工事中断ののち元禄8年再開し,同10年竣工,同11年身延山久遠寺から七面天女を分請して新田守護神として祀り開田された(真正寺縁起)。はじめ旗本吉良氏知行,元禄16年幕府領,宝永2年一部が旗本津田氏知行,天保2年津田氏知行分が西尾藩領となり,以後は幕府と西尾藩の相給。村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに931石余。当地開田直後,全国に有利に販売される塩に着目した領主義央は海岸寄りで塩害のため稲作不適の地を選び,塩田への転換を積極的に図った。この塩田開発によって当地の特産品として饗庭【あいば】塩が生産された。江戸末期当新田の南に白浜新田が開拓され,塩田が同地に集約されたため,当新田の塩田跡地はすべて水田に復元された。宝暦7年開創の日蓮宗真正寺がある。明治22年市制町村制施行による富吉新田村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7359249
最終更新日:2009-03-01




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