ケータイ辞書JLogosロゴ 長沢(中世)


愛知県>音羽町

 室町期から見える地名。三河国宝飯【ほい】郡のうち。応永10年8月日の八王子神社棟札銘に「三河国宝飯郡音羽郷長沢里」とあり,「檀那源則興」とあるのが当地の領主であろう(音羽町誌)。宝徳元年12月25日の巓神社棟札銘に「乙葉村巓大明神」「大檀那源朝臣教兼」と見えており(同前),この源教兼は今川氏一族の関口氏であるという。額田郡岩津の城主松平信光の子親則が長沢に築城して長沢松平家を興し,音羽・乙葉の名称は使用されなくなった。永正15年7月の随念寺雲版銘に「三河長沢立信寺常住……施主妙暹」とある(岡崎市史17)。東海道を扼する重要な地点にあたるので,今川氏は長沢城番を家臣の勾坂六右衛門に命じていた(勾坂文書天文20年7月4日付今川義元感状)。今川氏治下において,旧長沢松平氏支配地を指す「長沢領」という呼び方があった(桜井寺文書弘治3年2月6日付今川義元判物/岡崎市史6)。桶狭間の戦の後,松平元康は今川方の守る長沢の諸城を攻め落とし,永禄6年6月1日に深溝【ふこうず】松平伊忠を長沢松平の浄賢・康忠とともに長沢城へ在番させている(譜牒余録/同前)。「家忠日記」天正14年4月の記事に「長沢普請」のことが見えるが,これは豊臣秀吉と緊迫した対抗関係にあるなかで家康が領国の西の固めとして街道筋にある長沢城を重視したことの現れである。この時の普請は山城である岩略寺城であろう。ほかに長沢には松平氏の古城,今川方の鳥屋根【とやがね】城,関口氏の鱣塚【うなぎづか】古城などがあった(三河国二葉松)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7359367
最終更新日:2009-03-01




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