ケータイ辞書JLogosロゴ 中島村(近世)


愛知県>岡崎市

 江戸期〜明治6年の村名。碧海郡のうち。慶長6年板倉勝重領,寛永元年板倉氏は諸侯に列せられて深溝藩領となり,同16年当村に居を移して中島藩領となり,寛文12年下野烏山藩領,天和元年幕府領,元禄10年旗本小笠原氏知行,明治2年から駿河静岡藩領。村高は,慶長6年板倉勝重知行書立984石余,「寛永高附」1,048石余,「元禄郷帳」1,357石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,359石余。寛永5年高畑村を分村。同16年中島藩の陣屋が設けられたが,寛文12年勲功により城主とされて下野烏山城を与えられたため,廃止となる。また江戸中期に旗本小笠原氏の陣屋が字薬師に設けられ,規模は東西32間・南北22間。東海道藤川宿の加助郷村で,寛政10年の勤高422石。寺社は,浄土宗崇福寺・真宗大谷派浄光寺・曹洞宗長円寺,小園神明社・神明社・住吉明神社。明治6年碧海郡内に中島村が2か村あったため下中島村と改称。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7359396
最終更新日:2009-03-01




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