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- 中島郡とは
「中島郡」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 中島郡 中世の当郡は国衙所在地をほぼ境に南・北両条に分かれる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中島郡 尾張国八郡の1つ... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中島郡北条【なかしまぐんほうじょう】 (中世)鎌倉期~南北朝期に見える広域地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 中島郡北条(中世) 鎌倉期~南北朝期に見える広域地名尾張国のうち尾張国衙所在地(稲沢市松下)をほぼ境にして中島郡の北半分をさす弘安5年7月日の浄金剛院領田畠坪付注進状に中島郡北条として美和・河崎・尾塞・拝師の4郷が見え(醍醐寺文書3/大日古),いずれも古代からの郷である美和郷は郡北東部にあったと思われ,近世には葉栗郡に編入された河崎郷は美和郷の南,国衙の東側にあり南で南条草部郷と隣接していたと思われる尾塞郷は河崎郷の西にあり南で南条三宅郷と隣接していたと思われる拝師郷は尾塞郷の北にあったと思われる拝師郷の北に神戸【かんべ】郷があったと思われるが,中世史料には見えない弘安7年閏4月晦日の浄胤寄進状に「中島郡北条賀野御厨土取郷」と見え,岐阜県羽島市正木町三ツ柳土取にあたる(性海寺文書/稲沢市史資料編7)貞和6年3月15日毛受遠能は北条毛受【ほうじようめんじよ】村(一宮市大和町毛受)内畠地を報恩寺に寄進した(妙興寺文書/大日料6‐14)延文2年10月3日の式部丞能親売券案写に「中島郡北条美和郷笥野里」とある(同前/同前6‐21)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中島郡南条【なかしまぐんなんじょう】 (中世)平安末期~南北朝期に見える広域地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 中島郡南条(中世) 平安末期~南北朝期に見える広域地名尾張国のうち尾張国衙所在地(稲沢市松下)をほぼ境にして中島郡の南半分をさす長寛元年10月27日の尾張国留守所下文案に「留守所下 中島郡南条司」とあり,尾張守平重衡下文をうけて佐伯遠長の熱田社領鈴置村の領掌を伝えている(白描五智如来図録裏文書/平遺補104)弘安5年7月日の浄金剛院領田畠坪付注進状に中島郡南条として草部・三宅・石作3郷が見える(醍醐寺文書3/大日古)草部郷は郡の南東部にあり北で北条河崎郷と隣接していたと思われる三宅郷は草部郷の西にあり北で北条尾塞郷と隣接していたと思われる石作郷は海東中荘のうちで郡の南端にあり,南は海東郡に隣接し,近世海東郡に編入された現在の甚目寺【じもくじ】町・美和町の北部も含むその他,南条のうちに「中島郡南条堤田御庄松野村」(七寺一切経奥書/七寺一切経目録)なども見える延文2年7月4日刑部左衛門時末は熱田社神官常陸修理介に「南条三宅郷中池里三十坪」田地8反を安堵している(張州雑志巻35/熱田神宮史料)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中島郡 正保期には尾張藩領・幕府領・旗本領があり幕末期は尾張藩領・幕府領が大部分を占め,ほかに犬山藩領・旗本領がある... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中島郡【なかじまぐん】 古代~現在の尾張国・愛知県の郡名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 中島郡【なかしまぐん】 美濃国の郡名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 中島郡 はじめ尾張国に所属していた当郡は,美濃との国境である木曽川の洪水にたびたび被害を受けていたが,中でも天正14年6月には河道が移動するほどの大洪水に見舞われ,郡内は東西に分断された... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中島郡 天平6年の「尾張国正税帳」が初見... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」