中郷(中世)
鎌倉期〜室町期に見える郷名。三河国碧海郡碧海荘のうち。永仁3年8月日の碧海荘米配分状案によると熊野山日供米409石5斗のうち42石8斗が「中郷」に賦課されている(紀伊続風土記附録十四本宮社家二階堂蔵/鎌遺18898)。永享11年5月16日の大聖寺鰐口銘に「三州碧海荘中郷十王堂」と見える(岡崎市史17)。なお,天文6年に松平広忠岡崎復帰に功のあった大久保忠俊が中之郷100貫文の代官になったといい,本多氏の一族刑部左衛門宗信はこの地の出身と伝える。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7359493
最終更新日:2009-03-01