中之庄村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。中島郡のうち。中ノ庄村・中野庄村とも書いた。尾張藩領。清洲代官所支配。東西8町20間・南北5町。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに682石余,「旧高旧領」966石余。「寛文覚書」によれば,本田の概高962石余,田25町余・畑29町余,ほかに概高2石余の古川新田,寛文2年縄入の新田1石余があり,家数61・人数364,馬20。「徇行記」によれば,蔵入地23石余,給知は940石余で渡辺門右衛門ら給人22,ほかに寛政2年縄入の新田1石余が新たに加わり,家数112・人数388,美濃路清洲宿の助郷村で,村内は妙見・中屋敷・北屋敷・御田島・万願寺の5つに分かれていた。寺院は,真言宗無量光院(満願寺)・安楽坊(元禄14年満蔵院と改称),かつては満願寺一山といい,学頭が無量光院・別当普賢院をはじめ満月院・日輪坊・宝蔵坊・密蔵坊・安楽坊・等覚坊・成就坊・増長坊,別院に浄安寺・蓮華寺など一山に12か寺あったが,天正年間に地震倒壊により安楽坊のみが残って,10か寺が廃寺になり,本尊はすべて無量光院に移っている。無量光院の木造阿弥陀如来及び両脇侍座像は国重文。絹本着色仏涅槃図は県文化財。神社は,明見(妙見)・神明・八幡。明治6年教誼学校創立,同9年中之庄学校となり,同17年の生徒数27(男25・女2)。同22年玉田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7359505
最終更新日:2009-03-01