ケータイ辞書JLogosロゴ 中般若村(近世)


愛知県>江南市

 江戸期〜明治22年の村名。尾張国丹羽郡のうち。はじめ尾張藩領,明治元年からは尾張藩と犬山藩の相給。小牧代官所支配。新田を除き成瀬隼人正采地。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに78石余,「旧高旧領」41石余。「寛文覚書」によれば,本田は概高30石余,反別は畑5町余,家数10・人数67,馬5。村の広さは東西7町・南北6町程。天保年間の村絵図によれば,東西に巡見街道が通り,同街道南側に白山権現社がある。村内は砂地のため茶・桑・大豆を栽培,養蚕も行っていた。また木曽川対岸の岩手村へ入小作していた。なお当村は,備前検地の翌年,慶長14年の洪水で耕地を流され,成瀬隼人正の手で復興されたという。木曽川沿いに位置するため,木曽川堤のうち270間を引受け,御鷹の餌犬への代米も負担した。また木曽川の流木を留め置いた場合には,それに対する賃銀を受け取った。なお将軍上洛や朝鮮通信使の通行に際しては人馬役を出した。明治22年和勝村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7359530
最終更新日:2009-03-01




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