ケータイ辞書JLogosロゴ 名墓(中世)


愛知県>稲沢市

 鎌倉期から見える地名。尾張国中島郡のうち。弘安5年7月日付尾張国千代氏荘坪付注進状案に尾張国国衙領弥三郎名田の所在地として「同(中島郡)北条河崎郷奈墓里十一坪五段」とある(醍醐寺文書/稲沢市史資料編7)。建武3年2月15日付宮内大輔某寄進状に「尾張国久田村散在田畠名墓荒野」とあり,性海寺へ檀那大塚持信姪久田楠鶴女の遺領として寄進している(性海寺文書/同前)。戦国期の天正10年9月万徳寺領年貢帳によれば「なつか」「なつかのミなミほりはた」「なつかの富ちつかのミなミ」「なつか前」と見え,万徳寺領が数反あった(万徳寺文書/同前)。同18年正月28日織田信雄が小田原攻めのために萩原渡と清須間の幹線道路築造を命じた際,土方左兵二が「なつか」での責任者となり,同年2月1日支線道路築造を給人らに命じた際には,北島・梅須賀【めすか】・福島の人々が当地の工事に動員されている(酒井家文書/同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7359639
最終更新日:2009-03-01




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