ケータイ辞書JLogosロゴ 夏焼村(近世)


愛知県>稲武町

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ三河国加茂郡,江戸前期からは設楽【したら】郡のうち。はじめ幕府領,宝永5年相模小田原藩領,享保元年幕府領,天明6年からは挙母【ころも】藩領。村高は,天正18年の検地で25石余,「寛永高附」25石余,寛永18年の検地で35石余,その後周辺の村々は受けていない承応4年・明暦3年の特別の検地を受け,元禄元年の検地とを併せた合計で82石余となり,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに82石余。天正18年の検地帳には9人の名があり,寛永18年の検地帳には15人の名が載る。文政3年の戸数27・人数124。当村では隣の稲橋村の古橋源六郎暉皃の呼びかけにより天保初年頃より植林を始めたが,この時29名が規定書に署名をしており,現在に引き継がれている共有山の運営組織である二十九戸会の創始といえる。伊那街道が通り,江戸後期には農間に馬による運送業を営む者もあった。阿弥陀堂や観音堂があった。氏神は浅間神社。明治11年北設楽郡に所属。同22年稲橋村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7359644
最終更新日:2009-03-01




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