- JLogos検索辞書>
- 西郡(中世)とは
「西郡(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 西郡(中世) 室町期から見える字名山城国愛宕【おたぎ】郡岡本郷のうち「にしこり」「にしこうほり」ともいう賀茂別雷神社領宝徳3年4月7日,岡本郷地からみ帳(写)に,「〈次ノ東,にしこり〉一反 楽音寺 作人治部大輔」とあるのが初見次いで天文19年11月18日の同郷検地帳では,「西コリノ東」として5筆5反半,「西コリ西ハシ」として17筆1町5反小の田地が一括記載されており,天正13年12月吉日付賀茂検地帳には,「にしこうほり」の字名で19筆,同17年霜月10日の検地帳には「西こをり」所在の8筆の田地がそれぞれ出現するこれら諸検地帳の地図上復元により,これは現在の北区上賀茂岡本口町の南半部と,上賀茂豊田町・上賀茂向縄手町の各一部とを含む地域であることがわかる江戸期(年月日未詳)の上賀茂御社領之内本郷田地麁絵図でも,同じ場所に「西郡」と記す(以上,賀茂別雷神社文書)もともとこの字名は錦織郷の郷名と関係するものと思われる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 西郡(中世) 鎌倉期~戦国期の広域地名「和名抄」にいう山梨西郡とは異なる甲斐の国中【くになか】を縦に三分したうちの釜無川以西の地域をいい,はじめ逸見・武川【むかわ】地方をも含んでいたが,戦国期からこれは別の区分となった貞応3年の明王寺(増穂町)鰐口に「甲斐国西郡」と刻銘があるのが初見戦国末期の史料には西郡内の地名として鮎沢・南条・中条が見える「国志」には甲州から信州への穂坂路・大門嶺棒道・諏訪路の道筋に属する村とあるが,江戸期では西郡筋に当たる地域というべきであろう... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 西郡(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 西郡(中世) 戦国期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」