ケータイ辞書JLogosロゴ 西郡町(近世)


愛知県>蒲郡市

 江戸期〜明治2年の町名。宝飯郡のうち。蒲形村内の町場を指す地名で,旗本松平氏(西郡松平氏)の陣屋・家中屋敷およびその周囲の町場にあたる。はじめはたんに町と呼ばれたが,次第に蒲形町とか西郡町と称され,嘉永5年の文書以降は蒲形町に代わって明確に西郡町の名を使用するようになる。ただし,江戸期の郷帳類では当町名は見えず,蒲形村として記載される。しかし,当町は,慶長17年旗本松平氏が当地周辺5,000石を知行するとその陣屋が置かれ,以後行政上は農村部と別の扱いを受けた。この松平氏は旗本高家交代寄合衆で,定府する一般の旗本とは異なって当地に在国して参勤交代を行ったので,旗本の陣屋所在地といってもいわば小城下町的性格をもっており,100軒ほどの家中屋敷もあった。慶安2年の村々役高書出によると,蒲形村の村高1,108石余のうち引高として町高300石,給人屋敷分19石余,給人作57石余,小給人作140石余,天桂院・民部控屋敷除地4石余,寺社領兵左衛門善十郎分15石余とあり(蒲郡市誌),これらが当町分と考えられ,特に町高300石は年貢・諸役免許とされた。享保8年幕府赤坂代官所に提出した文書には,町高300石,家中屋敷高68石余とある。享保7年町内が東町と西町に分けられた。天保〜嘉永年間の地頭役所の文書には「領内十ケ村」から「領内十ケ町村」の宛書が多くなる。安政4年の家数142。文久2年の西郡町高は323石余で,ほかに周辺の新井方・不相・小江・清田の各村で「町支配新切」を78石余所有している。江戸期を通じて5・10の日の六斎市である「五十の市」が開催され,岡崎城下の文書にも寛政年間には「西郡之市」の名が見える。明治2年西郡村と改称。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7359867
最終更新日:2009-03-01




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