ケータイ辞書JLogosロゴ 西溝口村(近世)


愛知県>稲沢市

 江戸期〜明治22年の村名。尾張国中島郡のうち。はじめ尾張藩領,明治元年からは犬山藩・尾張藩の相給。清洲代官所支配。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに666石余,「旧高旧領」1,088石余,うち犬山藩分1,081石余・尾張藩分6石余。「寛文覚書」によると,本田の概高1,080石余,田28町余・畑25町余,家数67・人数377,馬22,枝郷は友松,年貢は船で廻送した。「徇行記」によれば,一円成瀬隼人正の給知,家数85・人数368,馬5,村中持高が平準でよく耕された土地に小百姓ばかりがいたとある。大通行・将軍上洛・朝鮮通信使来朝時に神守宿・佐屋宿へ人馬を出した。天保12年の村絵図によると,神社は,村の中央部に八幡社,ほかに大明神・白山社があり,寺院は真宗高田派成願寺・薬師堂(現浄土宗薬師寺)が見える。明治11年鬼頭新田の一部を編入。同22年豊田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7359920
最終更新日:2009-03-01




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