ケータイ辞書JLogosロゴ 仁木郷(中世)


愛知県>岡崎市

 鎌倉期〜戦国期に見える郷名。額田郡のうち。足利氏一門の義実の子義国が仁木太郎と称し(尊卑分脈),仁木氏名字の地であるが,鎌倉期の仁木氏に関する史料は皆無。足利義氏が額田郡地頭となる承久の乱後に仁木郷が一門に与えられたのであろう。永仁4年3月11日足利貞氏は根本被官の倉持家行に「額田郡内萱薗郷・仁木郷内屋敷田畠」を安堵した(倉持文書/岡崎市史6)。この屋敷田畠は家行―師忠―胤忠―胤政―孫三郎へと譲られ,最後の譲与は応安4年である。この頃まで倉持氏の知行は続いていたが,その後は不知行となったと思われる(同前)。永正14年4月の神谷家光山売券に「にき郷山」1か所を売却したことが見え(妙源寺文書/同前),永禄元年9月4日の今川義元判物写によれば,檀那某から寄進された竜渓院の寺領が仁木郷にあったことがわかる(竜渓院文書/同前)。年未詳8月28日の松平家康書状写に「日記」と見え,長沢松平家の知行地があったらしい(譜牒余録下)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7359936
最終更新日:2009-03-01




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