ケータイ辞書JLogosロゴ 合歓木郷(中世)


愛知県>岡崎市

 戦国期に見える郷名。三河国碧海郡碧海荘のうち。明応2年12月本願寺実如が下付した阿弥陀絵像裏書に「碧海郡碧海庄村高郷内合歓木」とある(正願寺文書/岡崎市史6)。いま村高は矢作川左岸にあって安城市に属すが,当時は合歓木は村高郷内とあるので,のちに矢作川の川筋が変化して村高と合歓木が分断されたのである。天正16年3月石川家成は材木京上について「合歓木郷」など5か郷の一向衆に指令しているので(上宮寺文書/同前),家成の知行地と考えられる。同17年,同19年の上宮寺末寺連判状に「ねふのき尊教」が見えるが(同前),これは正願寺のこと。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7360000
最終更新日:2009-03-01




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