ケータイ辞書JLogosロゴ 笶生御厨(中世)


愛知県>尾西市

 鎌倉期に見える御厨名。尾張国中島郡のうち。伊勢二宮領。治開田神領ともいう。弘安元年12月8日付六波羅下知状に「尾張国箆生御厨」とあり,寛喜年間以後地頭請所が成立していたという(東大寺文書/鎌遺13316)。「神鳳鈔」には「〈二宮〉笶生御厨〈一名治開田神領十五ケ里五百四十丁〉」と見える。治開田神領は永久4年以前の年未詳二所太神宮神主重申状に「治開田預安倍守富」とあるのが初見。国衙が新神戸加納540町として没収しようとしたのに対し,神宮側は本・新両神戸本免500余町・新免200余町の四至牓示内であると主張して相論となっている(陽明文庫所蔵知信記裏文書/平遺1860)。この治開田神領は平安末期の嘉承2年重ねて奉免宣旨を得て神領として認められ,建久3年8月日付二所太神宮神領注進状写によれば大中臣氏子が給主で,両宮に上分長絹10疋・起請雑用絹10疋を納入している(神宮雑書/鎌遺614)。同神領が鎌倉末期頃に御厨となったらしい。弘安7年閏4月晦日付浄胤寄進状によれば,西で中島郡北条賀野御厨土取【どとり】郷と隣接していた(性海寺文書/稲沢市史資料編7)。なお,享徳元年皇大神宮神領注文写にも「治開田三貫文」とある(享徳庁宣注文/同前)。戦国期の永正15年3月18日了泉寺蔵阿弥陀如来絵像裏書に「中島郡笶生庄内籠□□□(郷奥村カ)」と見える(一宮市史資料編6)。近世の野府村(現在の尾西市開明)が遺称で,一宮市奥町も含む。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7360094
最終更新日:2009-03-01




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