ケータイ辞書JLogosロゴ 羽渭荘(中世)


愛知県>御津町

 鎌倉期〜室町期に見える荘園名。三河国宝飯【ほい】郡のうち。「吾妻鏡」建久5年10月17日条に守護安達盛長を介して医師丹波頼基が源頼朝に歯の治療薬を献じたことが見え,頼基が「三河国羽渭庄」を関東御恩として領知しているとある。頼朝以前は平氏領で,没官領であろうか。「康正二年造内裏段銭并国役引付」に8貫300文の段銭が京済された「三河国羽渭庄」が見えるが,納入者の名は記されていない(群書28)。室町期にこのあたりは御津荘とも呼ばれたらしく,文安3年10月17日の金野仲仙寺鐘銘には「御津庄仲仙寺」とある(古鐘銘集成)。灰野の字をあてるようになったのは戦国期頃であろう。御津荘代官の波多野氏の勢力があったが,明応2年牧野成時と灰野原で戦って敗れたという。江戸期の灰野村・金割村辺りに相当する。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7360143
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ