ケータイ辞書JLogosロゴ 萩村(近世)


愛知県>阿久比町

 江戸期〜明治11年の村名。尾張国知多郡のうち。尾張藩領。鳴海代官所支配。慶長13年の代官領渡状に,高220石余,取101石余,うち20石は「免合違ニ引」とある(伊奈忠次文書集成)。村高は,「寛文郷帳」220石余,「天保郷帳」220石余,「旧高旧領」286石余。「寛文覚書」によれば,本田の概高264石余・新田の概高1石余で,概高合計266石余,反別は田20町余・畑5反余,家数27・人数207,牛馬11,神社2,雨池3,英比川堤384間,将軍上洛の折など人馬を出すとある。天保12年の村絵図によると,一円蔵入地とあり,高286石余(新田共)という。「徇行記」には,戸数60・人数246,牛2,「小百姓ハカリ」とある。英比川の沖積地に本田が広がる。この本田地には,三反長・諸反田などの小字名が残り,地割りに長地型の名残を残すなど条里の遺構を思わせる。農間には黒鍬稼ぎや酒六に出ており,「横松大工に萩左官」とも言われ,左官職を身につける者も多かった。ユズリハ池を立合池としており,毎年米2俵を矢口村・高岡村に井領米として納めていた。集落西部に山神と白山神があったが,現在は山神が大山祇神社となり,境内に白山社も合祀されている。また,享保年間の創建と伝える法久院がある。明治11年阿久比村の一部となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7360153
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ