ケータイ辞書JLogosロゴ 萩(中世)


愛知県>音羽町

 室町期から見える地名。三河国宝飯【ほい】郡のうち。応永16年12月23日の下賀茂神社棟札銘に「当保地頭」大江高広の名があるので,古くは萩保と呼ばれて大江氏の所領であった(神社を中心としたる宝飯郡史)。熱田大宮司家に猶子として入った大江広元の子忠成に始まる萩大宮司家の本貫地とする説もある。嘉吉3年10月8日の同社棟札銘に「大檀那恵賀清家右馬允」とあるのは,大江氏の一族か代官であろう(同前)。「康正二年造内裏段銭并国役引付」に三淵掃部助が「三河国荒井并萩分段銭」350文を納入していることが見え(群書28),萩は荒井とともに幕府奉公衆三淵氏の知行地になっている。財賀寺あての永禄3年11月13日の今川氏真安堵状に「萩郷・千両郷大代山江薪人夫如前々可入之事」とあり,萩郷民は財賀寺領の山林へ入ることを禁止され,大代山を入会地とするように定められていた(財賀寺文書/豊川市史中世近世史料編)。同6年5月14日の今川氏真判物によると,氏真が前年に作手【つくで】の奥平父子に宛行った知行のうち,「萩・牧平・樫山三ケ所五百貫文」を奥平氏が本領主へ還付したのは神妙であるといっている(奥平文書/中津藩史)。なお,萩には奥平貞久の子主馬允某が住して萩家を興していた。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7360156
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ