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- 萩平村(近世)とは
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萩平村(近世) 江戸期~明治6年の村名三河国加茂郡のうち矢作川水系千洗川支流の西萩平川下流域に位置するはじめ岡崎藩領,宝暦12年上知されて幕府領になったと考えられ,天保2年からは西尾藩領村高は,「寛永高附」38石余,「元禄郷帳」47石余,「天保郷帳」63石余,「旧高旧領」では西萩平村と見え63石余慶安3年検地帳では屋敷数8筆字名木下に浄土宗安養寺があったが,昭和15年頃廃寺となった鎮守は乙ケ林【おかばやし】村の白山神社安養寺参道筋の民家の庭に頭の病に効験があると信じられている柴切地蔵が祀られている明治6年西萩平村と改称 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
萩平村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
萩平村(近世) 江戸期~明治5年の村名県北西部,神流【かんな】川下流右岸に位置する児玉【こだま】郡安保【あぼ】領のうち古くは若泉荘に属したというはじめ幕府領,正保年間からは旗本室賀氏の知行検地は承応元年村高は「田園簿」で111石余,「天保郷帳」では113石余村の規模は東西4町余・南北8町余すべて畑地化政期の家数23軒鎮守は新里村の白岩明神社,神社は諏訪社ほか6社寺院は天台宗慈源山平安寺明治5年金鑽【かなさな】村と合併して二ノ宮村となる現在の神川町二ノ宮のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」