ケータイ辞書JLogosロゴ 羽栗村(近世)


愛知県>岡崎市

 江戸期〜明治22年の村名。三河国額田【ぬかた】郡のうち。慶長6年幕府領,寛永10年岡崎藩と旗本大久保彦左衛門の相給となり,その後岡崎藩領は正保2年幕府領,享保10年岡崎藩領,宝暦12年幕府領,明和6年からは岡崎藩領となる。村高は,「寛永高附」324石余,「元禄郷帳」330石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに327石余。「岡崎藩万書上」では,寛政元年の岡崎藩領の人数81,馬3。「三州岡崎管内記」によれば,岡崎藩領は東山中手永に属し,享和年間の収納定俵104俵余。文化13年の岡崎藩領の家数31・人数86(岡崎市史)。寺社は,真宗順因寺・曹洞宗無量寺・熊野神社。明治15年の戸数76・人口293,耕宅地44町余・山林原野96町余(同前)。同22年山中村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7360174
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ